10月18日(水)伊藤耕さんのこと

10月18日(水)伊藤耕さんのこと
(From 毎日jogjob日誌 by東良美季)

「THE FOOLS(ザ・フールズ)」、そして「ブルースビンボーズ」のヴォーカリスト、伊藤耕さんが亡くなった。忌野清志郎、山口冨士夫に続いて、僕らはまたひとり、偉大なロックンローラーを失った。2002年、友人のピスケンこと曽根賢編集長による不良雑誌『BURST(バースト)』にて、僕は幸運にも耕さんにインタビューする機会を得た。今日、訃報を伝えた「Yahoo!ニュース」には、<服役中の月形刑務所内で死去>とある。そう、すべての建前や名目、良識と常識から自由だった伊藤耕は、ドラッグに対しても奔放だったから、長い間ずっと塀の中とこちら側を行き来していた。

 そのことも真夜中、高円寺の飲み屋のカウンターで聞いた。すると耕さんは「そりゃロックンローラーにはドラッグがつきもんだろ、力士がメシたらふく食うのと同じだよ」と、わざと軽口でかわした。「でも、刑務所の生活って辛くないですか?」と僕が食い下がると、「な〜んもだよ、アニキ」と言った。初対面の年下の取材ライターに、「アンタ」でも「キミ」でも「お前」でもなく「アニキ」と呼びかける。それが伊藤耕という人の人間性だった。誰にでも分け隔てなく、優しくフレンドリーだった。そしてこう語ったのだ。「あの中はよ、刑務官のオヤジの言う通りやってりゃイイんだもん。逆に言われないことやると懲罰って世界だからな。外でロックやってる方がよっぽど大変だ。自分のアタマで色々考えなきゃなんないだろ? だからなー、逆にヤバイよアッチは。人間テメーでモノ考えなくなったらヤバイだろ?」と。

 その言葉が、今も心に残っている。伊藤耕は、まるで機械のように冷たいバビロンのシステムに立ちはだかる、誰よりも人のぬくもりに溢れたロックンローラーだった。辛いとき、仕事上であまりにバカバカしく非人間的な扱いを受けたとき、何度フールズやビンボーズのCDを夜中に聴き、「オレは大丈夫だ、間違ってない」と泣いただろう。少し前、イラストレーターのヤギヤスオさんのtwitterで、現在ザ・フールズのドキュメンタリー映画が進行中で、ヤギさん所有の「結成10周年の法政学館でのライヴとかHi 8ヴィデオ・カメラで撮ってたので提供した」と知ったばかりだったこともあり、返す返す残念だ。下記、その『BURST(バースト)』の原稿を、さわりの部分を貼ってみることにしました。幸いなのは、フールズもビンボーズも、世間的には決してメジャーなアーティストではないが、その音源が現在ほぼ入手できるということだ。興味を持った方は、ぜひ一度耳にして欲しい。

『ロックンロールのシャーマン〜伊藤耕とブルースビンボーズ』

 中央線西荻窪駅を出て右へ、線路沿いを歩くと七〇年代から時間が止まったような屋台風の飲み屋街がある。サラリーマンたちがビールやホッピーをあおるその細い路地を通り抜け、突き当りを曲がると突然喧騒がやみ、街は一気にしんと静まり返った暗闇になった。商店はすべてシャッターを下ろし、信用金庫のものだろうか、無人の駐車場が冷たい夜の中に沈んでいる。しかしその角を曲がって思わずゾッとした。いったい何十人いるんだろう? 凶悪な面持ちの男たちが、思い思いの格好で地べたにしゃがみ込んでいた。偶然通りかかったならば、迷うことなく回れ右をして引き返すところだ。

 ニューヨーク中のストリートギャングが集まるウォルター・ヒルの映画『ウォリアーズ』を思い出した。ビョウを打った革ジャン、ビリビリに引き裂かれたジーンズ、スキンヘッド、赤や紫に染められた髪、そしてタテガミの様に逆立てられたモヒカン──、編集長のピスケンによればハードコアパンク、あるいはジャパニーズハードコアと呼ばれるバンドマンたちだそうだ。この国で最も先端的で純粋な音楽を演るヤツら、故に常に過激で時に暴力的。すべての虚飾を剥ぎ取ったむき出しのギラつくナイフみたいだ。そんな連中が集まるライヴハウス「西荻WATTS」。オレたちはそこに伝説のロックンローラー、伊藤耕を取材するために来たのだ。編集長のピスケンに新人編集者の武内、それに若い写真家のタニグチ君にライターのオレというメンツだ。

 暗闇にたむろするパンクスの中から比較的穏やかな表情をした金髪の男が立ち上がり、ピスケンに何ごとが声をかけた。後にそれがドラムのアキヤマだと判るのだがその時点では判らない。男は「えっと、耕さんの取材だよな」と言い、んーと、さっきまでその辺にいたんだけどなと暗闇を見回した。そして「ああ、いたいた」と指差した先には壊れた電話ボックスと閉ざされた店のシャッターがあり、伊藤耕はその壁に他のバンドマンらしき男と並んで立ち小便をしていた。
 アキヤマの「耕さん、取材の人だよ」の声に「おおぉぉっ」と答えるものの、大量のビールを飲んでいるせいか小便はなかなか止らない。その頃になって闇夜に慣れ始めた眼でその路地を見渡すと、潰されたビールの空き缶が山のように転がっている。やっとのことで小便を終えた伊藤耕はオレたちに向い「おれ、耕。昔ポン中、今アル中の耕。よろしくなぁ」と言い右手を差し出したものの、さすがに直前までチンポコ掴んでいたのに気がついたのか、「まあ、ライヴ見てってよ、なっ」と笑い、ジーンズのチャックを上げながら「WATTS」の狭い階段をガニ股で降りて行った。
 本物の中の本物の不良バンド、はみだし者の飲んだくれバンドと言われた元ザ・フールズのヴォーカリスト伊藤耕と出会うには、これ以上にない出会い方であった──。

「元フールズの伊藤耕さんにインタビューができそうなんですよ」とピスケンに聞かされたのは二ヶ月程前のことだ。ザ・フールズ、そして伊藤耕と聞いて、今どれだけの人が「ああ」とうなずくのだろう? それに今色々な意味で話を聞ける状況なのか、現役で音楽を続けているのか、そもそもちゃんと生きているのかというようなことがその瞬間頭の中を駆け巡った。なぜなら真の意味でSEX,DRUG&ROCKN`ROOL体現する伊藤耕は、盟友・山口冨士夫と並んで、この十年ドラッグの使用及び不法所持で、塀の中とコチラの行ったり来たりを繰り返しているロッカーだからだ。

「シャバには出てるそうです」とピスケンは電話口で言った。「一昨年頃に出て来て、それ以来ドラッグの方もクリアに絶ってるって話ですね。ただし酒はガンガンに飲んでるらしいっスけど」
 それにしても、よく判らないこともある。そもそもピスケンがよく行く新宿2丁目のロックバーで、以前取材したことのあるハードコアのミュージシャンと出会った際に「伊藤耕なら俺達とよくライヴをやるよ」という話を仕入れて来たことに始まる。確かに八〇年代からザ・フールズは江戸アケミ率いるじゃがたらと並んで、実にパンク的な反逆のスピリットを持ったバンドだった。しかしギタリスト川田良の弾く唯一無比なギターカッティングに、身をくねらせた耕のヴォーカルが絡んでいく、そんなファンクとバッド・ボーイズ・ロックンロールが混在したようなサウンドと、現在のハードコアパンクとがどのように共存しているのか想像がつかない。さらに伊藤耕が現在活動しているバンド名は〈ブルースビンボーズ〉という。何ともルーズでロックンロール・ライクな名前ではないか?

 そんなワケでオレたちは「西荻WATTS」にやって来た。中では既に活動歴の長いバンド、TRASHがゴキゲンなブギーを演奏していて、まるで満員電車のような暗がりで、若い男の子たちがヘッドバンキングを繰り返している。オレの足元にはさっきから背中まであるモヒカンヘアの男がうずくまっていて、休んでいるのかと思ったらどうやら酔い潰れて眠ってしまったようだ。やがてTRASHの演奏が終ると前列でひときわ大声で叫び、踊って楽しんでいた暴力的な程に髪の長い、汚らしくもトッポイ男たちがゾロゾロとステージに上がり始める。それが、ブルースビンボーズだった。

 腰まであるクシャクシャの長髪にストラトキャスターを抱えているのがバンドリーダーのPちゃん。その対面にいるのがニットキャップに尻まで届こうかという髪、アラブ人のような髭をたくわえたギターの谷地。長身でラスタマンのような風貌のベースのスグル。ドラムのアキヤマが音を確かめるようにベードラをキックすると、ジャンベというアフリカ民族楽器のパーカッションを叩くカゲヤマとミノルが、細かいビートでそれを追う。谷地が流れるように数回コードを鳴らすとPちゃんがワウワウを踏みっぱなしにしたカッティングを刻み、スグルのベースがボトムでブンッと唸った時に音楽が一体になった。

 やがてどこからともなく伊藤耕が現われフラリとステージに登る。耕は前列の客に「楽しんでっか?」「酒飲んでるか?」と軽口を叩いてからまるで語りかけるように唄い始めた。
<外側からのプレッシャー仕方なく守らされてるルールや、人を窮屈にさせる常識、そんなものは無くてもうまくやれるんだ。無条件の愛、無制限の愛、無境界の愛──、それだけを本当に心がければ、みんなが少しづつそこに近づいていけば、日常のあちこちに革命が起こるかもしれない>

 やがて客の腰がゆっくりと動き始め、気がついてみると自分の足元からもリズムが沸き上がって来るのがわかる。呟くようだった耕の言葉はいつの間にかビートに乗り「唄」になっている。それでも矢継ぎ早に繰り出される言葉、言葉、言葉。さっきまであれだけビールをあおってベロベロに見えた人間とはとても思えない。
<おいら時たまネガディブになっちまうのさ、金も何も出るばっかりで何も入って来ない、そんなグチをたれる。だけど朝の太陽を見ればまた思い出すのさ、無条件の愛、無制限の愛、無境界の愛をめ・ざ・そ・う!>

 いつの間にかビートが身体中を駆け巡っている。それは誰もがオフクロの子宮の中で聞いていた心臓の音、好きな女を抱きしめて眠った夜に重なり合った心臓のビート。
<打算的な物質文明、こんな世の中じゃいくらモノが溢れてたって俺たちは豊かになれない。人間の心は貧しい、世知辛い世の中何とかしたい、じゃあどうする?>
 伊藤耕はまるで、神様からロックンロールを受取るために存在するシャーマンだ。耕が唄い身をくねらせるたび、空からビートが舞い降り、オレたちの身体に乗り移る。誰もがうねり、腰を浮かせ、足を踏み鳴らせている。いつの間にか隣のヤツが、後ろのヤツが、前で踊る女の子が、そして自分が耕と一緒になって叫んでいるのが判る。
<無条件の愛、無制限の愛、無境界の愛を、め・ざ・そ・う!>

 バンドの音は一体となり、そのままビンボーズのオリジナル「誰もがキリスト」、さらにフールズ時代のファンキーなダンスナンバー「酒飲んでパーティ」へとなだれ込む。そしてこれもフールズ時代の<オー・ベイビー、お前が独りぼっちなら誰もが独りぼっちさ>というセンチメンタルなバラード「オー・ベイビー」へ。そこで耕は「この間、京都に行ってきた。チャー坊は逝っちまったけど、連れに聞いたらダウンな状況で逝ったんじゃなくて、ハイなまま天国逝ったって。だからイイんじゃねえのか」とMCの後、村八分の「草臥れて」を唄った。Pちゃんがマイクの前に立ち、「俺が大尊敬する山口冨士夫さんの曲を」と言ってティアドロップスの「気をつけろ」が始り、続いてこれまたフールズ時代のナンバー「ハイウェイソング」へ。

 そこからは大ロックンロール大会になる。谷地はギブソンSGをマシンガンのよう構えてかき鳴らし、Pちゃんはステージに膝をついてストラトを燃え上がらせるように歪ませる。スグルとアキヤマのリズムはボトムの底の底から唸りを上げ、カゲヤマとミノルのパーカッションは文字通り嵐のように降り注ぐ。いつの間にか最前列でおヘソを出して踊っていた女の子たちが一人、また一人とステージに上がり始め、最後にはどこからどこまでがメンバーで客なのかもわかららなくなった。

 狭い階段を登り外に出ると、今まで恐ろしいほど濃い空気の中に居たことにやっと気づく。あれはまさしく音楽という名の呪術だ。いや、あんなに人をハイにしてくれるロックンロールがあれば、確かにドラッグなんてもう必要ないかもしれない。隣でやはり呆然として顔をして立ち尽くしていたタニグチ君に、オレは思わず言う。
「まいったな、いったい何ンなんだ? ムチャクチャカッコイイじゃないか」。そう、さっきまであの空間で起きていたことが、オレには上手く掴めなかった。 「ヤバかったっスねえ」とタニグチ君も苦笑している。「思わずカメラ放り出してステージ登って踊り出すとこでしたよ」
 ピスケンがやはり上気した顔で近づいきて言う。「参りましたね、よかったっスよね。どうでした?」
「フールズ時代もすごかったけど、今も変わらない。いや、今の方がむしろ何倍もパワフルだ」
 オレはそう答え、その瞬間からピスケンと『BURST』、そしてオレたちの取材対象は〈伝説のロッカー元ザ・フールズの伊藤耕〉ではなく、バリバリの現役で、最高のロックンロールを演り続けるバンド、〈ブルースビンボーズ〉とそのヴォーカリスト伊藤耕になった──(未完)。

原典:https://jogjob.exblog.jp/28043233/